カッコよければ、自分が好きであれば、それでいい。
作り手の人生が分かったら、もっと好きになるかも。
ただの有名どころの歴史を語るのではなく、せっかくなら彼らの歴史的記録を元に憶測していこうではないか。
今回は、一度は聞いたことがあるであろう、アルネ・ヤコブセンについて。
事実と憶測が混ざり合う、ヤコブセンの人生ストーリーをお楽しみください。
アルネ・ヤコブセンが全盛期の作品
1957年、建築家としても既に名を馳せていた Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)。
椅子のデザインに関しては、1945年に発表されたイームズの名作DCM,LCMをみて、脳天からかみなりが落ちたような衝撃があったのでは。
成形合板による椅子の登場。
さすがヤコブセン、すぐにアントチェア、セブンチェアと大ヒット作品を
作り上げる。
さすがヤコブの大先生やなー!と評判だった。
だが、きっかけがアメリカのイームズの椅子だから、どーにも心に引っかかりがあったのです。
イームズ発想の成形合板という手法をまんま取り入れたのだから。
さらに当時のデンマーク、大量生産、つまり大量生産が可能で機能と美しさを合わせ持った商品が求められていた時代。
30歳くらいから建築家として、数々の素晴らしい実績を残してきたヤコブ先生にしてみると、釈然としない日々を送っていたのでは。
そんな中、さすがヤコブ師匠、遂に1957年にグランプリチェア、テーブルを発表。
デザイナーとしての意地と実力を世界に見せつけたわけです。
しかし大量生産には向かないデザインも含まれていて、僅か数年でフリッツハンセン社は生産ストップ。
なんて小心な。セブンチェアでたっぷりと稼がせて貰ったのにな。
でも、これでめげないのがヤコブ大魔神。その後エッグチェア、スワンチェアと世界的ホームラン連発。
しかも1960には、建築家、家具デザイナーとしてのいわばクリエイティブディレクターとしての集大成仕事、SASロイヤルホテルを完成させた。
いわば、メジャーリーグで三冠王とったようなものだ。
パチパチ。