彼は未来に何を残したのか?
フィンユールが手がけた1946年に発表のBO46。
このソファは、One collection社が製造されている復刻版。一般的には、オリジナルのソファの方が希少価値が高いことから、値段も高額なの。
どちらの良さもあるけれど、One collection社とFinn Juhl社との始まりは、希少価値以上の価値がプラスされる物語があるの。
BO46の魅力を、復刻版が製造できるようになったOne collection社の歴史と共にご紹介。
異業種から生まれた新デザイン
資格もなしに家具よりも建築を学び、美術・芸術からインスピレーションを受けた独自のアプローチを貫いていたフィン・ユール。
1930年代の彼がデザインしたカクカクした直角的な家具から心機一転。
当時のモダンアーティスト、
ヘンリー・ムーア氏やジャン・アルプ氏の
作品からインスピレーションを受け、
コンパクトなサイズ感で滑らかな美曲線が際立つ家具へと変化していったの。
チーク材で量産家具の挑戦
1940-1950年代に注目を浴びたフィンユールだったが、しばらく表舞台で注目されることが少なく、2000年頃に人気が再起。
人気のきっかけを作ったのが
復刻版を製造しているOne collection社と
フィンユールの妻の出会いだったの。
復刻版のおかげで、フィンユールが今もレジェンドの一人として世の中に浸透。
復刻版は、オリジナル版が重宝されるようになった重要なきっかけ、気になるでしょ?
破天荒に魅せられて
1990年、小さな洗濯用地下室からスタートしたOne collection社。独自の型破りな手法で家具を製造し、彼らの存在が知れ渡るようになったのか1999年頃。
One collection社に、フィンユールのソファを記念展示会のために作って欲しいという依頼が彼の妻から来たのだ。
スケジュールや予算も限られていたものの、フィンユールが提唱していた理念と、One collection社の想いが重なり仕事を引き受けることに。
数々の職人の協力のもと、ソファ57やペリカンチェアを再現させた。
挑戦を楽しんでいるか?
One collection社と発表したフィンユールの家具は、長年話題になっていなかったことから、多くのコレクターや評論家たちから忘れられた存在となっていた。
久々の登場に、賛否両論の意見が飛び交ったが、アメリカなど国外からも展示の依頼が来るなど大きな話題として注目を浴びるように。
さらに、「彼の全ての家具に関する製造の権利を引き継ぎたい」というオファーを彼の妻から受けたのだ。
「あなたたちと、こんなに楽しい時間を過ごしてきたんだから、あなたたちに引き継いで欲しいわ」と。
決して楽な挑戦ではなかったけれど、同じ想いでフィンユールの家具を再現しようと奮闘した日々を"楽しい時間"と言ってくれた、フィンユールに最も近かった妻からのオファー。
簡単な決断ではなかったが、オファーを受け入れ、今の復刻版が存在している。
彼が未来に残したモノ
フィンユールの家具が今もなお、ここまで有名で人気を誇っているのは、フィンユールが他界した後も彼を信じて再復活に情熱を注いだ、彼の妻とOne Collection社の存在があったのだ。
復刻版の存在がなければ、オリジナル版の価値も見出せていなかったかもしれない。
フィンユールが未来に残したモノは、
家具を通して彼の想いを引き継ぎたいと奮闘した
周囲の熱量無くして語れない。
復刻版の熱い想いが伝わりますように。